逆説の日本史

最近日本のアニメやマンガなどのサブカルチャーが世界で評判を呼んでいるみたいだ。

自分が学生のころなどは、『日本人は電車の中でマンガばかり読んでいて嘆かわしい。そんな奴は欧米にはいない。』

というのが、主だった論調だったように思う。

そんな論調に対して、『日本には手塚 治虫がいて、海外にはいなかったのがその理由だ。』と、誰だったか忘れたが、喝破しているのを読み、そのとおりだと思ったものだ。

海外のマンガに精通しているわけではまったくないが、当時、日本のマンガがあらゆる面で洗練されているのは、誰の目にも明らかだと自分には思えたし、それは何より、『手塚 治虫』が、日本に『偶然』生まれたからだと強く思っていた。

しかし、『手塚 治虫』が、日本に『偶然』生まれたのではなく、『日本』だからこそ、『手塚 治虫』が生まれ得たのではないかという思いをこの本を読んで抱いた。『手塚 治虫』という天才を生み出す文化的土壌、文化、サブカルチャーに対する民衆の態度、それらが日本にそろっていたから、『手塚 治虫』は日本に出現しえたし、仮に存在しなくとも、別の誰かがその役割をになっていたのではないか。

そんな日本人の一般大衆にまで文化的素養を築いたのが、「平家物語」であり「太平記」であると読み解いた本書。

であるならば、現在のアニメ、マンガに対する評価は、単なる徒花ではなく、何百年もの歴史の蓄積の上に咲いた花であり、ようやく他の国が理解できるようになって来たのかもしれない。

逆説をうたい、10何年もベストセラーを続けているだけあり、毎回新たな発見をさせてくれる本であり次の巻が待ち遠しい。

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