贈り物

20060611

今日(6/10)の読売新聞、「ホントの旅」というコーナーに、「スサノオから数えて98代目の子孫にあたると言おう出雲観光協会の小野篤彦さん(49)」とあった。

スサノオってのは、八俣の大蛇(おろち)を退治して、三種の神器の一つ草薙の剣(熱田神宮におさめられているらしい)を蛇から取り出した須佐之男命(スサノヲノミコト)。天皇の祖神である天照大御神(アマテラスオホミノカミ)の弟さんです。
ちなみに、鼻から産まれてます。アマテラスオホミノカミは、左目から。

まぁそのスサノヲの子孫が小野さんってだけでも十分不思議な感じがするんですけど、実は、アマテラスオホミノカミ、スサノヲノミコトは、それぞれ自分の持ち物(玉と剣)を交換して、相手の持ち物から相手の子供を産んでいる。つまり、小野さんは、スサノヲの剣をもらったアマテラスが剣から産んだ子供の子孫ってことで、見方によっては小野さんがアマテラスオホミノカミの子孫とも言えそう。

このような贈り物の交換の話はいろんな神話に存在するようで、「寝ながら学べる構造主義」に依ると、「人間の本性は『贈与』」にあり、「何か『贈り物』を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、『お返し』をしないと気が済まない」心理状態、「反対給付」という制度は知られているすべての人間集団に観察されるらしい。
ここでいう『贈り物』『お返し』には、直接的なやり取りだけではなく、親にしてもらったこと(養育等)を子供にしてあげるっていうスライドするやり取りも含まれるんだろうと思う。

贈与、返礼の往復という、贈与のシステムにより人間の作り出すすべての社会システムはそれが『同一状態にとどまらないように構造化されている』とも言っているて、諸行無常ってのは、こういうことかーとも思いました。

そう考えると、確かにわれわれの社会って交換によって成り立っている。給料しかり、貨幣しかり、言葉しかり。そうでないものを考えるほうが難しい。

著者は「人間は自分が欲しいものは他人から与えられるという仕方でしか手に入れることができない」と、「何かを手に入れたいと思ったら、他人から贈られる他ない」と、そして「贈与と返礼の運動を起動させようとしたら、まず自分がそれと同じものを他人に与えることから始めなければならない」という。

うーん、いいこという。すばらしい。
こういうの読むと、哲学って生きるための指針たりえるなと思う。
大きいこと言えば、今日本の教育に足りていないのは、英語教育とかじゃなくて、「哲学」だったりするんじゃねーの?と思いました。

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